産まない女はかくも傷ついている ――『ノンママという生き方』香山リカ

 

「産んだ女」が「産まなかった女」の本を続けて読むとは、どんな嫌味だと思われそうだけど、けっこう切実な興味を持っていまして。だって、もしかしたら自分がその立場だったかもしれないってけっこうリアルに思っているし、友人の中にも「子どもを持つこと」や「不妊治療」に悩んでいる(いた)人が何人もいる。他人事としてとらえるにはあまりにも身近すぎる話題なのだ。

 

■生殖医療の進歩がノンママを悩ませる

 

筆者は、さまざまな理由で子どもを持たない人生を歩んでいる女性を「ノンママ」と名付けた。そして現代は女性(または男性)にとって「子どもをあきらめることが難しい時代だ」という。

 

なかなか妊娠しにくくても顕微授精、人工授精、体外受精を行えば可能、40代後半の高齢出産も可能、凍結卵子を使えばさらに高齢でも可能、子宮がなければ代理出産が可能、卵子精子に問題があれば提供生殖細胞を使うことも可能……。法的にはまだ認められていないものもあるが、「可能」の項目はどんどん増えつつある。

「可能」の項目の増加で、子どもが得られて喜ぶ人が増えたのと同時に、「子どもがほしかったけれど、まあ、仕方がないか」と納得することができない人も増えた。

 

子どもが欲しいのになかなか授からないという人にとっては、しんどい時代なのだろうなと思う。手段がないなら諦めるほかないけれど、あればあったで「手をつくさなくていいのか」という迷いが生じる。しかも、そこには少なくはないお金の問題が絡んで来る。選択肢があるということが人を悩ませることもある。

 

■自分だっていつ地雷を踏むかわからないYo!

 

また、筆者はノンママに対するさまざまな言動がハラスメントになるのだ、と主張している。例えばこんな発言だ。

 

「こんな悪い時代、子どもを持たないのは正解ですよ」

「えー、40歳?子どもがいないときれいですね。ウチの妻とは全然違う。子育てに追われて髪もボサボサで」

「子どもがいないと自分のためにお金や時間を使えますよね、うらやましい」

「いいなあ、ヨーロッパ旅行か。私、旅行が大好きだったのに子どもができてから行けていないんです」

 

どう思うだろうか?

これはひどいハラスメントだろうか。それともこんなの悪意のないただの会話だよって言えるだろうか。

 

正直に言うと、わたしは最後のフレーズなんて言ってしまいそうだなと思った。自分なら「子どもを持たないのは正解」などと言ったりはしないが、「子どもができてから○○がなかなかできなくて」なんて会話はしてしまいそうだ。っていうか、たぶん過去に気付かないうちに言っている。きっと地雷、踏んでいたよ!だって事実だし。

 

勉強になりますね。

そう思うと同時に、こういう主張って自分たちの首を締めることにならないだろうかって思った。

だって、これを真剣に受け取ったら、ハラスメントになるかもってビビって普通の会話でさえぎこちなくなりそうだ。子どもの存在を想起させないように細心の注意を払って話さないといけないんでしょ?いやー、何を言えばセーフなのかわかんないわ。わたしだったら何も話せなくなってしまう。

 

それに、そう言ったら、マミートラックに追いやられた人の前で「仕事が忙しくて料理する暇もないんだよ」って言うのだってハラスメントではないか!

なんか窮屈だなあ。

 

まあ、なんというか、そこまで目くじらを立ててハラスメントだと糾弾したいわけではなくて、ちょっとしたことに傷ついたりするものなんですよねぇ、っていう感じの主張なのでしょう。ちょっと頭の隅にでもおいて、できるだけ人を傷つけない会話を心がけたいものです。