【読書】子どもがいないという不全感と開放感 ——『産まないことは「逃げ」ですか?』吉田潮

 もっと豪快でさっぱりした人なのかと勝手に想像していた。

「子ども産みません。だっていなくたって毎日こんなに楽しいもの。ひゃっほう!」……的な。

でも、実際にはじっとり悩んでいる(いた)様子がけっこう伝わってきて、子どもがいないことによる不全感って、かくも女を苦しめるのかと考えてしまった。そういえば「あさイチ」の有働さんも、子どもを産まなかったことについて語るときはけっこう辛そうにしていたな。

 

筆者は35歳を過ぎてから猛烈に“子ども欲しい病”にかかり、不妊治療も経験するのだけど授からず、諦めるに至った。一見すると不妊治療について書いた本なのかと思いきや、治療自体の話は本書の半分に満たないところで終わってしまう。これは、産まなかった(産めなかった)自分と折り合いをつけるまでの葛藤を書いた本だ。

 

本書で紹介された例から、子どもがいることのメリットやデメリットについて共感したポイントをいくつか挙げる。

 

「自分にかまうことに飽きた」

 

まずは子どもがいることのメリット。

「彼氏はいらないけど子どもが欲しい」と言っていた女性、それからイラストレーターの夫のSさんが同様の発言をしているので続けて引用する。

 

「もう自分にかまうのに飽きたんです。子どもができれば気がまぎれるというか、自分どころではなくなると思って」

  

「もうこれで自分に構わなくていいと思うとラクになった」

 

ほんと自分のことをアレコレ考えてしまうのって面倒。わたしも独身時代の最後のほうは、もう自分のためだけに生きるのはしんどい、頑張り続けるモチベーションが続く気がしないって思っていたかも。

子どもを持って物理的な自分の時間は減ったけれど、そのぶん余計なことを考えずにできることをやればいいんだと思うようになった。目の前のことに集中できるようになった。

 

それから、「親の目線を持っている」と感じた番組スタッフAさんの話。

 

もちろん、彼の性格的なものも大きいが、いい意味でいいかげんなのである。口うるさくあれこれ指示するのではなく、黙って見守る姿勢が身についている。不干渉で何か起きても受け流すのが上手なのだ。

 

うまく受け流さないとやってらんないよね!

特にイヤイヤ期を経験したりすると「待つ」「黙って見守る」ことが、最善にして最もエネルギーの無駄のない行為だって気付くこともある。子どもが飲み物をひっくり返したり、衣服をドロドロにしたり、イタズラしたりするのも、いちいち目くじらを立てていては気が持たないから「受け流す」。

 

「ちょっとキテレツな人」になれるか

 

次は子どもがいることのデメリットだ。

 

今は子どもがいない自由を堪能している。友達と旅行に出かけたり、ひとり思い立って、遠く離れた美術館へ行ったり、突然深夜上映の映画を見に行ったり。子どもがいないからこそできることがたくさんありすぎる。

 

確かに、「思い立って」「突然」一人で出かけることはできない。でも、パートナーと協力し合えば美術館も映画館も行ける。むしろ子連れだって行けたりもする。自由気ままとはいかないけれど、それってそんなに重要かな?子どもが育つまでの期間限定だし、制約があるからこそ感じる自由もあるよね。

 

母になれなかったことで、子どものお手本にならなくていい立ち位置を得られた気がする。ちょっと間違っていても、ちょっと道を外してもお手本にならなくていいし、倫理的に正しい道徳的な大人のふりをしなくてもいい。(中略)「ちょっとキテレツな人」になると、人生は本当にラクだ。

 

親だからって倫理的に道徳的な大人のふりなんてしなくてもいいと思う。自分が思ってもいないことを子どもに言ったところで説得力ないし、「母らしさ」「親らしさ」に縛られる必要なんて本当はないはず。

とはいえ、実際のところ「キテレツな人」になるのはためらってしまうかも。わたしだったら道を外れるようなことをする前にきっと子どもの顔が脳裏をよぎってしまう。「ちょっとキテレツ」くらいだったらいけるかな。むしろ、そうありたいものだわ。

 

「産んだ女」vs「産まなかった女」を越えて

 

最初のほうで「産まなかった自分と折り合いをつけるまでの葛藤を書いた本」と書いたが、筆者は執筆時点ではまだ和解できていなかったのだと思う。だからこそ、一冊を費やして「産まなくてよかったこと」や「産んでいない人にはわからないわよ」的なハラスメントの事例を集めて並べる必要があったのでしょう。

また、母親として生きる人のことを「主語が自分になっていない」(主体的に生きていない)などと多少批判的なトーンで書いている感じも気になった。こんなことを書くとマウンティングだとか言われそうだが、「産んだ女」VS「産まなかった女」の構図を作ってしまうことほど虚しいことはないよね。他方のことにまで口を出す必要はないでしょ。だって、双方の女は少し条件が違えば立場が入れ替わっていたとしてもおかしくはないんだから。